【はてなダイヤリー終了記念・モバイル青春記】第四回・ついに日本でスマートフォン登場に嬉しさより心配が大きくなり、ブログタイトルをW-ZERO3応援団にしてしまう

はてなダイヤリーの更新サービスが終了に伴い、はてなダイヤリーと共に歩んだモバイルの思い出を語っています。第1回、第2回、第3回はこちら。

blog.itokoichi.com

blog.itokoichi.com

blog.itokoichi.com

2005年。日本ではPDA市場が死滅してしまい、PDAユーザーは海外スマートフォンに活路を見出します。はてなダイヤリー界隈では、台湾製のスマートフォンBENQ P50の日本語化をユーザーグループで実施して、PDAとして使えるようになりました。
そして、2005年9月に日本でPDAとして使っていた海外スマホBENQ P50を香港に持ち込み、通話と通信を行い、スマートフォンの素晴らしさを体験しました。PDAが、常時ネットに繋がっており、電話が出来ること、そんなスマートフォンの魅力を痛感しました。
そんな感動を胸に日本に帰国したところ、ビッグニュースがありました。
2005年10月20日にウィルコムからW-ZERO3が発表になりました。そのときの興奮のはてなダイヤリーのエントリーがこちらです。

itokoichi.hatenadiary.com

W-ZERO3は、シャープ製でウィルコムから発売、OSにマイクロソフトのWindows Mobileを搭載し、ウィルコム独自のW-SIMを内蔵することで、通話と通信が単体でできる、まさにスマートフォンでした。スタイラスペンによる画面タッチに加え、スライド式キーボードを搭載したのです。夢にまで見たスマートフォンが、ついに日本に登場するのです。

f:id:itokoichi:20190227210628j:plain



興奮しながらも、メディアの反応を見て、ユーザーとして心配になってきました。メディアから聞こえてくる声は、ガラケー全盛時代に、大きな画面にタッチ操作で、キーボード内蔵の端末なんかニーズがない、PDAで失敗したのだからPDAに携帯機能を載せても使いにくいだけだろう、などなど。スマートフォンが、日本の携帯市場に登場する意味合いを理解するメディアの少なさに驚きました。現実的に、PC関連記事編集者や携帯電話関連編集者はいても、PDAに造詣が深く、海外スマートフォンの現状を理解している編集者が少なかったのも原因かと思われます。PDA市場が日本になくなって2年近く経ってしまったので、仕方のないところでした。さらに残念だったのは、ウィルコムもマイクロソフトも、W-ZERO3をスマートフォンとは呼びませんでした。このメーカーサイドの弱気な姿勢も心配になりました。
このままではいけない、日本初のスマートフォンの灯火を絶やしてはいけない、ただの個人ユーザーではありましたが、ブログで応援することにしました。たった一人ではありましたが「W-ZERO3応援団」と名乗って、情報発信をすることにしました。Windows Mobileは、ユーザーレベルでカスタマイズしないと、正直なところ実用にはならないOSでした。そのユーザーレベルのカスタマイズ情報を発信していこう、と決意したのです。
そんな思いを、当時のはてなダイヤリーにアップしています。

itokoichi.hatenadiary.com


懸念はありましたが、2005年12月14日、W-ZERO3はついに発売になります。今では想像できないとは思いますが、有楽町ビックカメラに開店前に100人以上の行列ができたのです。メディアの反応を他所に、ユーザーは大いに盛り上がったのです。2年近く、PDA次期機種が発売されず、ガラケーやノートPCではなく、スマートフォンを夢見ていたモバイルユーザーが日本全国にいたのです。
発売の喜びを書いたはてなダイヤリーがこちらです。

itokoichi.hatenadiary.com


W-ZERO3は、発売になりましたが、まだまだ、はてなダイヤリーで応援活動は続きました。それはまだ次回。